2009年09月04日
神田うの
向こうでのエピソード。
日本人が住んでいる部屋に、ブラジル人のチームメイトが入ってきました。
雑談しているうちに、誰かが日本から持ってきた日本の雑誌をブラジル人のチームメイトが手に取って、そしてその雑誌を開くと…
『o~pa~!!!!!(かなり驚いている…その後爆笑)』
その開いた雑誌のページには神田うのが。
ブラジル人曰わく、日本人は目が細いっていうのが定説。だから神田うのには驚いたらしいです…。
確かに神田うのは目が大きいけど…不思議だ…そこまで珍しいんでしょうか!?

ブラジル人的日本人顔って…?
日本人が住んでいる部屋に、ブラジル人のチームメイトが入ってきました。
雑談しているうちに、誰かが日本から持ってきた日本の雑誌をブラジル人のチームメイトが手に取って、そしてその雑誌を開くと…
『o~pa~!!!!!(かなり驚いている…その後爆笑)』
その開いた雑誌のページには神田うのが。
ブラジル人曰わく、日本人は目が細いっていうのが定説。だから神田うのには驚いたらしいです…。
確かに神田うのは目が大きいけど…不思議だ…そこまで珍しいんでしょうか!?

ブラジル人的日本人顔って…?
2009年03月18日
試合前
福岡のサポーターの試合前の集会の動画を見つけました。
これを見ていたら2005年のクラブW杯のサンパウリーノ(サンパウロFCのサポーター)を思い出しました。
横浜国際(日産スタジアム)で、試合開始3時間前から歌い続けてましたからね(笑)

こういうノリ、僕は好きです。
2009年01月06日
食事に招待
久しぶりにブラジル時代の想い出を。
チームメイトと仲良くなると、
『家に食事においでよ~』
ってお呼ばれすることがあります。
僕はそういう時、遠慮もなく
『ありがとう、お言葉に甘えて…行く!』
って感じで即答してました(笑)
ある時、あまり裕福でない友人に同じように誘われたんです。
もちろん、
『ありがとう!』
って応えて、行くことにしたんです。
自転車に二人乗りして10分ぐらい。
かなりキツい坂道(きっと車は登れないような斜面)の上にそいつの家がありました。
家に着いてみるとやっぱり裕福じゃないんで、屋根も透き間が空いていてたり、窓もないところがある家でした。
少々談笑していると、そいつのお母さんが用意してくれた食事が出てきました。
フェジョン(ブラジルの豆料理)とソーシーシャ(ソーセージ)とお米とトマトだけだったのをはっきり覚えているんですが、これが本当に美味しかったんです。
その友人は笑顔で、『美味しいだろ?』と聞いてきました。
『MuitoBom!(とても良いの意、この場合はとても美味しい)』
と親指を立てて応えたのは言うまでもありません。
色々な友人のところで食事をご馳走になりましたが、この時に頂いた食事は、一生忘れられません。
チームメイトと仲良くなると、
『家に食事においでよ~』
ってお呼ばれすることがあります。
僕はそういう時、遠慮もなく
『ありがとう、お言葉に甘えて…行く!』
って感じで即答してました(笑)
ある時、あまり裕福でない友人に同じように誘われたんです。
もちろん、
『ありがとう!』
って応えて、行くことにしたんです。
自転車に二人乗りして10分ぐらい。
かなりキツい坂道(きっと車は登れないような斜面)の上にそいつの家がありました。
家に着いてみるとやっぱり裕福じゃないんで、屋根も透き間が空いていてたり、窓もないところがある家でした。
少々談笑していると、そいつのお母さんが用意してくれた食事が出てきました。
フェジョン(ブラジルの豆料理)とソーシーシャ(ソーセージ)とお米とトマトだけだったのをはっきり覚えているんですが、これが本当に美味しかったんです。
その友人は笑顔で、『美味しいだろ?』と聞いてきました。
『MuitoBom!(とても良いの意、この場合はとても美味しい)』
と親指を立てて応えたのは言うまでもありません。
色々な友人のところで食事をご馳走になりましたが、この時に頂いた食事は、一生忘れられません。
2008年11月13日
JORGE BENJOR

久しぶりに車で聞いてました、ジョルジ・ベンジオールのアルバム『AFRICA BRASIL』
高校生の時に何となく、
『ブラジルの音楽ってどんなだろう?』
って、ふとレコード店に立ち寄って買ったCDが、

このジョルジ・ベンジオールとジルベルト・ジルのコラボCDでした。
そのCDに収録されていた名曲の『タジ・マハール』を聞いて、ちょっとしたショックを受けました。
で、その後は地元にはジョルジ・ベンジオールのCDなんか置いてなくて、探すのに苦労してたんですよ…。
まあ、貧乏高校生がたまに都内に出た時に偶然見つけて買ったって感じでしたからね。
そんなこんなでしばらくして、今は無くなってしまった地元の駅前のCD屋で、ブラジルから帰ってきた頃に偶然見つけて買ったのがこのCD

レジに持っていったら、レコード屋のおじさんに…
『え…いやぁ…ジョルジ・ベンジオールの音楽がわかる人がこの近所にいたなんて…』
ってマジで驚かれて…(笑)
ヴァンガードのCMで『タジ・マハール』が使われたりして、耳に入ってきた時は本当に感激でした。
彼は有名なフラメンギスタ(フラメンゴのサポーター)で、ZICOの歌なんかも作って歌ってます(『AFRICA BRASIL』に収録されてます!」)。
それでやっと先日のブラジルフェスティバルで生ジョルジを見ることができたわけですから、そりゃあ嬉しかったですよ…!
http://sophiaaparecida.pokebras.jp/e57737.html
機会があれば皆さん、是非聴いてみてください!
2008年11月11日
柿を見ると思い出すこと

柿の木に柿の実が実っていると、思い出すことがあります。
日系ブラジル人の友人とフットサルに親しみだした頃(12~3年前?)、帰りに自転車で一休みしてたんですよ。
そうしたらその友人が…
柿を食ってるんですよ!!!!!
『その柿どうしたの?』
と聞いてみると、友人が指を指した先は…
民家の庭から出た柿の木の枝!!!!!
さすがに焦って…
『人の家の物だから勝手に取っちゃダメなんだよ…(汗)』
と慌てて言うと、友人は
美味しいよ♪
と日本語で悪びれたそぶりもなく…。
彼に代わってお詫びします…ゴメンナサイ…。

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追加入荷は未定となっておりますので、お早めにお買い求めください!
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2008年11月07日
TK

小室哲哉氏の逮捕は、連日のニュースやバラエティ系のワイドショーも巻き込んで騒ぎになっていますね。
一時は預金が100億円以上あったなんて人が、5億円の詐欺容疑…。
まあ、一般の人には縁がない額なんですけれども…。
中学生の頃、サッカー部の友人の一人が本当にTMネットワークよりも小室哲哉氏のファンで、それをきっかけに僕は小室哲哉氏の音楽を知り、必ずチェックするようになりました。

中学生の時にもしかしたら一番聞いたかもしれないCDがDigitalian is eating breakfastだったかもしれません。
ファンってほどではないのかもしれませんが、気がついたら結構TMネットワークだけでなく、単発の小室氏のCDも買ってましたね。
『売れるだろうな…』ってそういう気持ちがどこかにありました。
僕がブラジルにサッカー留学時も、テープに録って持っていったのはTMネットワーク中心でした。
毎週月曜日の練習がオフの日は、昼食後に日本への手紙(ほとんど母親へでしたけどね)を書くのが日課だったんですが、その時によく聞いていました。
日本人留学生が持ってきたCDの中には華原朋美やH Jungle with tがありましたから、もうかなり売れ始めていましたね。
その後の爆発的なヒットは、皆さんご存じの通りです。
罪は許されることではないし、しっかりと償って欲しいと思います。
もしかしたらもうメディアには姿を現すことはないかもしれないけれど、やはり色々な思いがありますから残念です。

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2008年10月25日
ブラジルの草サッカー

ブラジルでの草サッカーっていうか、ストリートサッカーとか、とにかく奥が深いんですよ。
実際にサントスの砂浜で毎週木曜日の午前中に、色々な人が集まってきて蹴る機会があったのですが、これが楽しかった!
その時、大人の事情でクラブの練習から干されちゃって、さあどうしよう?って時にたまたま知り合ったベットっていう元プロ選手に誘ってもらって、その草サッカーに参加したんですが、そこにはペレが引退間際に20歳そこそこで一緒にプレーしてたことがあるっていう人とか、プロサッカー選手で現在所属チームがないって人とか、本当の素人とか…とにかく蹴りたい人だけ集まってごちゃ混ぜで蹴るっていう感じの集まりだったんです。
考えてみたら平日の午前中に集まれるこいつらって?なんて考えちゃったんですけど(笑)
とにかく、みんな上手かったし、逆に下手な人が混ざってもバカにしないし、本当に奥が深かった…。
プレー以外にもそこで学んだことがたくさんありましたね。
プレーが終わった後は、海辺のバールって呼ばれる、ちょっとコーラとかが飲める場所で談笑したりするんですけど、僕なんかはいつも『何飲む?』って聞かれて、ちゃっかりコーラとかグァラナとか奢ってもらったりして(笑)
そういう楽しみ方っていうかコミュニケーションが初対面の人とかともできちゃうから、ブラジル人って羨ましいですよね。
FUTEBOLは奥が深いです…。
2008年09月25日
強盗?

サントス市内のジャバクアラというクラブの練習に参加していた頃の話。
色々と大人の事情(?)があって、ジュニオール(20歳以下)の練習から干されてしまい、ジュベニール(17歳以下)の練習に参加するように言い渡された時がありました。
『ふざけんじゃねぇよ!』とかって言いたくても、それは僕らが言える立場じゃなくて、日本人留学生の現実。
で、その時に滞在していた安ホテル(ペンション?)の近くを、ジュニオールの場合はクラブのバスが通るので迎えに来てくれたのですが、ジュベニールは自力で行くしかないので、路線バスで行くことになったんです。
で、ブラジルは世界一のバス路線の国。どのバスが何処を通るのか行き先が書いてあるバスならまだしも、サントス市内と隣町のサン・ビセンチのバスは、
『CIRCULAR』(巡回)
って書いてあって、番号で判断するしかなくて…。
しかもその番号も2桁ならまだしも3桁で、一つ番号が違うととんでもないところに行っちゃうらしく、バス停でそのバスが来るまで途方に暮れた記憶があります。
そんなんで、行きはなんとかペンションのおじさんに聞いたりしてたどり着いたのですが、帰りはなんだかクラブの連中を頼りたくなくて、他の日本人とどうしようかって事になり…
記憶を頼りに歩いて帰ることにしました(苦笑)
その記憶っていうのも、世話役の日系人スタッフの車でペンションからクラブまでの道のりの記憶を辿る感じ。
途中世間知らずの他の日本人留学生が、『もうタクシーかなんか拾おうぜ!』とか、『○○さん(日本人でサントス市内で花屋を経営されていた方)呼ぼうぜ!』とかってワガママ言うのを、
無視
して1時間ちょっと歩き続けて、ホテルに帰り着きました。
ホテルに帰るとペンションの人が、
『あの道を日本人3人で歩いてきたのか?よく強盗に遭わなかったな…』
と驚いていましたが、むしろ驚いたのは僕の方ですよ…(苦笑)
今思えば、通った道はファベーラ(スラム街)の近くで、95年のブラジル全国選手権の決勝、サントスVSボタフォゴの試合後、ボタフォゴのサポーターが迷い込んで銃で撃ち殺された…なんてエピソードがあったところでした…。
しかし、他の留学生でワガママ言う奴は本当に日本で過保護に育てられてきたんだなって思いますね。
結局、タクシーとか、車を呼ぶとか…旅行ならまだしも、現地で多少なりとも生活するのを考えたら、現地の人の生活に合わせるのは当たり前だと思うんです。
まあ、バスの路線を覚えてからはそんな強盗の心配をすることはなかったですが、その留学生に関しては『頼れない奴』って思うようになっちゃいましたね。
写真はペンションの駐車場でジャバクアラのジュニオールの友人、アレーと撮ったものです。
彼は非情に親日家で、僕は非情に親切にしてもらいました。
彼自身日本人留学生を多数受け入れていたキンゼ・デ・ジャウーからジャバクアラに移籍してきたので、僕がたまたま持っていた清水のユニフォームを彼に着せて、僕はキンゼ・デ・ジャウーのユニフォームを着て撮りました。
2008年08月31日
メダル
最後にブラジルでお世話になったクラブで出場していたリーグ戦で優勝した時のメダルです。
ヴィザの関係で最後までプレーはできませんでしたが、会長の粋な計らいで、リーグ優勝後、日本に送られてきました。
その地区のアマチュアの大会で、2部とはいえプロ選手が参加するため、絶対に1部に昇格しなくてはいけなかったリーグだったっていうのは、帰国後に国際電話で会長と話すまで知りませんでした(笑)
2008年08月17日
アトランタ五輪番外編

天国から地獄ってやつで、ブラジルに勝っても決勝トーナメントに進めなかった日本。
そしてブラジルで一度はデカい顔をしてたのに、一気に肩身の狭い思いをすることになった僕たち日本人留学生…(苦笑)
そういえば、僕と日本人留学生の一人が1レアルを賭けてたやつってどうしたっけ?
まあ、僕は引き分けに賭けてたからハズレだったんですけど…。
友人は1-0日本の勝利で見事的中。
1レアルが10レアル以上になって返ってきました。
『みんなにハンバーガー奢りますよ…』
本当に足長おじさんに見えましたね(笑)
ってなわけで、ハンバーガーをごちそうになったのは言うまでもありません。
アトランタ五輪、マイアミの奇跡…
12年も前の話ですもんね。
2008年08月16日
アトランタ五輪その3

※悲壮感漂う練習中のベベットを写した新聞
日本がブラジルを下した翌々日の新聞とかにも悲壮感が漂ってて、とにかく日本がブラジルに勝った!っていう気分は意外と長く続いていました。
街を歩いても知らない奴に話しかけられて、優越感でいっぱい…そう、この日までは。
次の試合は日本はナイジェリアに敗れ、ブラジルはハンガリーを下す。
『なんだ、やっぱり日本は日本じゃないか?』
一気に過去へ逆戻りですよ…(苦笑)
そして運命の予選リーグ最終戦。
予定通り?というか、ブラジルはナイジェリアを下して、同時進行の日本対ハンガリーは2-2という情報が入って…
『悪夢だ…』
なんて心の中で呟いていると…
『ロスタイムに日本が3点目!』
日本人留学生同士でよっしゃ!って大騒ぎです。
前園が喜んでるシーンが映し出されて…
?ちょっと待てよ…
得失点差でいえば、もう1点取らなきゃいけないじゃん!喜んでる場合じゃねぇだろ!
そして、日本のアトランタ五輪は終わりました。
その後ブラジルは銅メダルで終わり、ザガロ監督は大バッシングを受けるのですが、それ以上に僕たちは…
『日本はブラジルに勝ったけど、何色のメダルを取ったんだい?』
って、皮肉られて、肩身の狭い思いをしたことは言うまでもありません…。
北京五輪の男子サッカーの低迷は残念ですが、なでしこジャパンの躍進は嬉しい限りですね。
12年前のアトランタは懐かしいですが、いつか北京の低迷を思い出すことがあるんでしょうね。
2008年08月15日
アトランタ五輪その2

VEXAME=恥
日本がブラジルに勝った翌朝…ちょっと怖いけど、大人数で歩けば大丈夫だろう…ってことで、新聞を買いに行くことにしました。
すると、知らない奴がたくさん寄ってきて…
『おめでとう!』
って(笑)
いやぁ、気分良かったですよ~!
とにかく新聞は叩きまくりですよ。
日本に負けたことで日本を憎むんではなくて、監督のザガロと選手が悪いのさ!ロマーリオがいないのが悪いのさ!って大討論でしたからね。

ブラジルに一本!柔道に例えて、なかなか粋ですよね(笑)
続く…
2008年08月15日
アトランタ五輪その1

アトランタ五輪を僕はブラジルで見てました。
組み合わせ抽選会の時、日本と同じグループになったことで、ブラジル国民は
『余裕』
と思ったことでしょう。
実際僕も、『よりによってブラジルと同じ組かよ…』って思いましたもん…いや、他の日本人留学生も思ってたはずです、はい。
で、プライベートな賭けとかをやってる連中が、その試合のスコアのことで盛り上がってて、1レアル(ブラジルの通貨単位)を賭けてたんですよ。
で、つき合いで僕ともう一人の日本人留学生が一口ずつ賭けたんです。
僕は1-1の引き分け、友人は1-0で日本が勝つって。
試合が始まってみると、
『ブラジル、マジで強え~!』
って怒濤の攻撃で。
ジュニーニョ・パウリスタが、ヒバウドが、ベベットが、ホベルト・カルロスが、そしてホナウドが…躍動してました。
しかしマイアミの奇跡がやってきたんです。
ヂダとアウダイールが衝突…次の瞬間…
『あれ?伊東がなんでそこにつめてるの?』
って(爆笑)
そのまま試合はタイムアップ。
正直、その日は外に出られないと思いましたね…マジで殺されるんじゃないか?って思いましたもん…。
続く…
2008年08月14日
シュンビーニョ

鹿島に2006年途中から在籍したダ・シルバことシュンビーニョ。
実は愛称はシュンビーニョだったんです。
サンパウロFCに移籍する前はシュンボとかシュンビーニョ(小さいシュンボの意)と呼ばれていたのですが、サンパウロFCの役員がその愛称よりも本名のダ・シルバという登録名にしてしまったみたいです。
鹿島の後はヒオ・クラーロやコリチーバといったクラブを転々としていたらしいですが、現在は…不明です。
能力は高かったんで、将来を期待してたんですが…。
やっぱりサッカーが上手いだけじゃダメだって事ですね。
彼はいい奴だったんですよ。
でも、運や普段の素行とかを含めて一流じゃないと生き残れない…本当のプロの世界って、そんなものなのかもしれません。
2008年08月11日
朝食

※写真はユーラカンFCで、朝食前に友人と撮ったものです。
ブラジルの朝食って、プチフランスとコーヒーってパターンが一般的なんですよ。
高級ホテルとかだと果物とかチーズ、ソーセージなんかも出てくるんですが、基本的にはそんな豪華なはずはなくて。
だいたいのクラブでは、食堂でパンを2つぐらいと、ミルク入りのコーヒーっていう感じでした。
特にミナス・ジェライス州の小さなクラブ、ユーラカンFCの朝食では、毎朝パン屋がトラックで焼きたてのパンを運んできてくれるんですが、ほんのり温かい紙袋に入ったパンをパン屋さんから受け取って、食堂に運ぶときは幸せでしたね(笑)
焼きたてのプチフランスが、本当に美味しいんですよ!
で、サンジョゼってクラブで練習してたとき、安宿から数日間練習通ってたことがあったんですが、そこの朝食っていうのがびっくりしたんです。
練習に行く準備をして、食堂に行っても何か用意されている気配がない。
おかしいな?と思ったら…
テーブルの隅にコーヒーの入った瓶と、昨日の残りみたいなプチフランスが一人あたり1個だけテーブルにそのままおいてあって…
これが練習前の朝食かよ!
って、ちょっと物足りなかったのを覚えています。
今思えば、飽食の日本人の感覚だったんでしょうね。
2008年07月26日
サントス=ペレ

たまたま僕がブラジルでサンパウロの次に行ったのがサントス市内だったので自然とサントスFCに足を運んだんです。
その前日にペレが来たとかで、結局ペレ本人に会ったことはありません。
ペレの息子のエジーニョが当時サントスFCの正GKだったので、エジーニョと握手したことはありましたが…。
『サントス=ペレ』っていうのは避けられないんでしょうね。
若くしてサントスでレギュラーポジションを掴むと、『ペレの再来?』とかって必ず新聞に書かれますからね。
でも、現湘南のジャーン(JEAN)が17歳でトップチームにデビューしたときに、『ペレの再来』って書かれてたのは、今思えば笑えます。
だってあいつ、ザゲイロ(センターバック)だし(笑)
なんかそういうところがブラジルらしいですよね(爆)
2008年07月23日
留学生の楽しみ

留学生の生活の中で、真面目にサッカーに打ち込んでいたとしたら、基本的には食べることが一番の楽しみだった気がします。
金銭感覚の話を最近しましたが、週に1回だけ夕食の後、更にハンバーガーを食べに行くのが楽しみの一つでした。
コーラかグァラナとハンバーガーっていうお決まりの組み合わせ。
X-SALADAっていう、肉に野菜のみのやつがシンプルでよく食べてましたね。
記憶が正しければ、当時1.5レアル(当時で150円位)だったと思います。
それで、スペシャルハンバーガーの、X-TUDOっていう全てのメニューを挟んでくれるやつがあったんですよ。
日本に帰る前日に、最初で最後のそれを食べて。
前述のX-SALADAに加えて鶏肉、卵、ソーセージ…今思えばメガマックよりボリュームありましたね(笑)
で、ちょっと出場する大会が減るって話になって、もめたことがあったんです。
門限は一応10時ということになっていたんですが、留学生みんなで
『ぐれてやる!』
とか言って、日本人留学生全部(4人)で夜外出することにしたんです。
寮に住んでるブラジル人も、『気をつけろよ』とか言って送り出してくれて。
街に出たのはいいけれど、結局…
いつもの店でみんなでコーラ飲むしかできなくて(爆)
それだけ真面目にサッカーに打ち込んでたんで、遊び方なんかわからなかったってやつですね。
10時半ぐらいに帰ってきたら、寮に住んでたブラジル人は、
『早かったね』
って、笑ってました。
2008年07月22日
懺悔

写真は昨年、横浜駅構内で買った駅弁です。
三ツ沢球技場での観戦の際、美味しくいただきました。
っていうか、僕が中学1年生の時の話。
市内の中学校は給食がまだ始まっておらず、平日は弁当でした。
で、学校の先生は仕出しの弁当とかを頼んでいたんです。
担任の先生は『ロバ』に似ていて、通称も『ロバ』だったんですが、ある日友人が…
『毎日ロバ、何食ってんだよ~』
って、仕出しの弁当の蓋を開けたんです。
まあ、普通のありがちな弁当だったんですが、シュウマイか何かが入っていて…
調子に乗って、シュウマイ食べちゃいました…(爆)
そうしたら弁当の中身がアンバランスになるじゃないですか?
すると、友人が何故かカリントウを持ってきていたので…
代わりにカリントウ入れておきました(爆)
数週間後、昼食の時間に先生に友人が、
『先生、お弁当美味しい~?』
なんて、わざとらしく聞いたんです。
すると、天然ボケ風の先生(ロバ)は…
『美味しいよ~♪この前カリントウとか入ってて、中身も変わってるんだよ~♪』
なんて真顔で応えた瞬間、教室中が爆笑になったのは言うまでもありません…。
先生、ゴメンナサイ…
2008年07月20日
イラン国籍?

ブラジルで最後にお世話になっていたクラブの寮に住んでいたブラジル人選手でRATO(ハット・ネズミという意味のあだ名)という奴がいました。
当時33歳、フラメンゴからオファーがあったこともある選手で、やっぱり技術等は素晴らしいものを持っていました。
33歳だった当時でも、カミニャーダと呼ばれる長距離走ではブッチ切りのトップの速さだったり。
風貌が、何となくアジア系というか、イラン人選手っぽかったので、よく日本語で『おい、イラン人!』とか言ってからかってたんですけど(笑)
覚えてるのは、近隣の街で行われた招待の親善試合で、2-1で勝っていたのですが、ロスタイムに1点返されて同点にされた時のことです。
僕は勝ちたくて、すぐにボールを拾ってセンターサークルにボールを運ぼうとしたのですが、RATOに、
『親善試合なんだから引き分けでいいんだ!』
と言われて僕は、
『お前、バカじゃねぇの?』
と日本語で怒鳴り返し、その後ピッチのど真ん中で口論をしたことがありました。
試合終了後も彼は折れずに『アウェーの親善試合だから引き分けでいいんだ…』と繰り返していたので、『俺には理解できない!』と僕も最後まで折れなかったのを覚えています。
とにかく彼とは普段から色々バカなことをしてふざけていましたね。
シャワーを浴びている彼に、コップで水をかけたりしてたら、その日のうちにお返しで2階からバケツで水をかけられたり(笑)
今彼は何してるんだろうな…?
2008年07月18日
カップスターの想い出

ブラジルのクラブで出た食事って、かなりパターンが限定されてたんですよ。
肉、米、フェジョンと呼ばれる豆料理(機会があったらこれに関しても書きます!)、野菜…それがほぼ毎日。
昼食と夕食のメニューがほとんど一緒…そんな感じで。
そういうワンパターンでも、不味くはなかったので、問題なく食べていたんですが、やっぱり日本食が恋しくなるじゃないですか?
短期留学生が来たりしたんですが、
日本のお菓子を持ってきた短期留学生は一瞬にして英雄でしたね(笑)
で、そんな生活がある程度続いて、ある日テレビを見ながら雑談していたら、サンパウロから僕らを世話してくれていた日本人の方が…
サンパウロで買ってきたカップスターを留学生の人数分(4つ)持ってきてくれたんですよ!
それがどれだけ嬉しかったか…。
本当に日本人留学生は英雄でしたが、その方は、
神様、仏様に見えましたからね(爆笑)
最近スーパーで何となく、最近の原材料高騰の影響で値上がりしたカップ麺コーナーを眺めていたらカップスターを見つけたので、迷わず買ってみました。
あの時の感動、忘れないだろうと思います…



